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地震

金曜日、私は一日、仕事場から離れて法務局にいました。
3時前くらいだったでしょうか、最初は「あら、地震だわ」位にしか思っていなかったのですが、そのうち強くなり、なかなか収まらない。
「やだ。どうしよう。ねえ。どうしよう、やだあ」
少し取り乱した女性の声なども聞こえてあたりはちょっと緊迫。職員がドアに近付いて出口を確保するのが見えました。それでも法務局はさすが、頑丈です。ちょっと見、異常なしでしたが、あとで、後にある倉庫の方では書類が飛び出したと聞きました。


さて、そこから仕事場に帰る段になったのですが、電車はすべて止まっているので歩くしかない。
地図を調達して、方向を見定め、てくてくてく・・・・・。
幸いにして法務局から仕事場は5キロ圏内ですから、1時間ちょっと歩けばなんとかなります。しかも、2キロくらい歩いたところで、最寄り駅までいくバスが運行しているのに気がついて乗れましたから、とてもラッキーでした。


仕事場は、母の自宅とかねています。
母は大丈夫だろうか・・・・・。途中、今後に備えて食べ物と飲物をゲットでして11階まで階段で上り(って、エレベーターが動いていなかったからですが)ドアを開けて。

「あら、あなた、大丈夫だった?」

一人でお茶をする母の、のんびりした声でした。
聞けば彼女も整形外科に行っていたようです。やはり食料をゲットして11階まで階段を上り(と、このあたりのぬかりのなさは見上げたものですが)ドアを開けて、ななを呼んだら、彼女はなんとベランダから入ってきたとのことでした。もちろん、母は出かけるときにベランダに通じる窓は閉めていったのですが、鍵はかけませんでした。そのために地震で20センチ位開いたらしくその隙間からななは外に出たのです
なにごともなくて幸いでした。

そしてりり。
こちらの方は、深刻でした。
仕事場には高い書類棚があるのですが書棚のうちの一つは棚板から外れて本が軒並み落ちていたのです。机の引き出しが開き、鉢植えが落ち、パソコンの液晶画面が倒れ、100キロ以上あると思われるコピー機が、足台にしている板から落ちてずれていました。
本の下敷きになってるんだろうか・・・・。

シンとした部屋の中をりりの名前を呼びながら、隙間を探していって、ようやくコピー機の後ろのせまい狭い隙間に挟まるように隠れている彼女を発見。私の顔を見るななり、口を動かしましたが声が出ません。
「りり。おいで」
再度声をかけると、振り絞るように一声おーんと鳴き、それからは、なでてやっても収まらず、ご飯を食べながらも鳴き、自分でも止められないようでした。

こうなると、とらが心配です。
自宅のリビングは仕事場以上に本の山。壁の一面が本と書類で埋まっていますから、とらがそこにいたら、大けがしているはずです。そして、そこは彼がいつもくつろぐ場所でもあるのです。

仕事場から自宅までは15キロ位。
山坂が激しいし、途中、河が2本ありますから、橋のところまで行かなければなりません。
少し前に、自転車で通勤することを考えて走ったことがありました。体力を消耗しすぎるので、通勤はあきらめたのですが、その経験が役立ちました。

古いママチャリを出し、空気圧を確かめていざ出発。
第二京浜を走ります。


でもねえ、すごい人なのよ。
徒歩で帰宅することにした人であふれかえっていました。やむなく車道におり、渋滞の道の端を走って南へ。その車道の橋もバイクや反対方向からくる自転車で、止めてやり過ごすこともしょっちゅうでした。

一時間半以上かけてついた自宅は、3階分に相当する階段を上がって初めてエンタランスになります。しかもエレベーターが止まっている・・・・。そこから実質5階分の我が家に登り、ドアを開ける・・・・。
とらが足元にいました。彼はいつもと同じ様子でした。
リビングの惨状をイメージしていたのですが、数百冊ある本は不思議なことに一冊も落ちておらず、書類がひと塊り落ちていただけ・・・・。本棚の中ほどに、数年前に買った木彫りの弥勒菩薩がこちらを向いて座っていました。

ああ。守ってくれたんだ・・・・・。
素直にお礼を言うことができました。仕事場のひどさを思えば、地震から無縁だったようなこの静けさが時空をこえて守られた結果としか思えなかったのです。


Yさんは六本木の国立新美術館にいました。
「今日はどこかに泊まって明日かえっていらっしゃいよ」
最後に電話ではなした時、彼にそう言っていました。
余震を考えると、このままとらを置いて仕事場に帰るのは心配でした。かといって、ここにとどまれば、母や犬猫が心配です。戻らなくてはなりませんでした。

ビスケットとコーヒー。冷え切った体を温め、装備を作り直し、とらをケージに入れ、寒くないようにケージごと新聞紙で包んで、自転車の後ろに装着して再び1時間半の旅。夜11時を過ぎていました。時々、とらがケージのドアから私の背中を押すのを感じながら、人の流れに逆らうように自転車を走らせます。行きにはたくさんいた人がこころもち少なくなっていました。道端には疲れきって座り込んでいる人、すわったまま仮眠をとっている人、携帯で場所を確認している人、杖をつきながら歩いている老人、ヒールをはいた足を引きずりながらあるく女性。

この人たちはどこから何時間かけて歩いているんだろう。
がんばれ。私もがんばる。この人たちのつらさに比べれば私はずっと恵まれている。みな無事だったと確認しているんだもの。


Yさんは夜中12時を回って動き始めた電車に乗れたようです。彼はできるだけ自宅に近いところに移動しようと考え、渋谷に歩いていました。当初、青山の避難所で一晩過ごすつもりだったようですが、電車が動き始めたときいて、渋谷駅に行ったのです。電車一本で帰れるところにいたのが幸いしました。



翌日、とらをつれて自宅に戻りました。とらは、仕事場に幼いころにいたのでおなじみの場所でしたが、りりとは初対面でした。私についた匂いから「ああ。あの匂いはあの子だったんだ」と思ったのでしょう、箪笥の上からのぞき、リビングからのぞき、ななにまとわりつかれながら、りりを眺めていました。トイレは彼が子供の頃使っていた小さなトイレでしたし、彼にとってはあまり快適ではなかったはずです。
とらは平気そうにふるまっていましたが、すごいストレスだったのでしょう。帰った途端、自分からケージに入って寝始めました。見た目で猫を判断してはいけませんね。彼にそうとう我慢を強いていたと反省してしまいました。

そしてななは。
余震のたびに震えて人のそばにまとわりつきます。雷に怯えるのは前からでしたが、地震もリストに乗ったようです。

りりは。
鳴きやみません。昼も夜も鳴き続けるのです。レメディも効きません。余震のたび、私の顔を見ます。
「また?またなの???」
そう尋ねているようです。彼女には時間とメンテが必要なようです。窓際でくつろぐまで回復していたのが、またコピー機の後ろで寝るようになりました。


我が家はこうして震度5を耐えました。
マグニチュード8.8。
津波が町を覆うのをテレビでみて、胸のつぶれる思いでした。
家族を失って、そのショックから立ち直る時間もない人が大勢います。生き残った人にも、つらい経験であり、これからも間違いなく大変な時間をやり過ごさなくてはなりません。



祈り、すこしでも東北地方の立て直しに役立つように募金し節約する。
後方援護しかないのだと思います。

亡くなった方々が安らかでありますように。
一日も早く、平穏が被災した方々に訪れますように。
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プロフィール

ぷり

Author:ぷり
とら(キジトラ猫)を生後10日ほどで保護し、その1年後にさまようおとな猫のりり(きじとら猫)を保護。
 
ペットに関して、決してつれあいのYさんと意見が一致しているわけではないけれど、保護したこの猫たちと、仕事場で母と暮らすロンチーのななは、大切な家族です。

きょうも3匹の幸せな生活を目指して頑張りま~す。

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